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    徹底解説!シリア騒乱②〜どんな経緯で複雑化?シリア騒乱の概要解説!〜気になるところ、さらっとちゃらっとわかりやすく解説!

    シリア1-01

    ハローベイベー!

    こんにちは!杉森です!

     

    さて、今回は前回に引き続き、シリア騒乱について見ていきましょう!

     

    前回は、シリア騒乱を理解するための事前知識となる部分をご紹介致しました。

    それを踏まえて今回は、シリア騒乱がどういうものかという点を経緯にそって見ていきましょう!

     

    それでは、レッツビギン!

     

    Part1 きっかけは、よくあるデモ

    アラブ諸国に革命を起こした、アラブの春

    遡ること5年前の2011年は、アラブ世界にとって非常に重要な意味を持つ年となりました。

    いわゆる、アラブの春という民主化運動によって、多くの国で独裁政権が倒れ、民主主義への道が開いたのですね。

    アラブの春の発端はチュニジアでした。当時のチュニジアでは、ベン=アリー大統領による独裁政治が23年間続いておりました。そんな長期の独裁政治に不満を持った民衆が2010年12月頃から活発にデモを行い、それが瞬く間に大規模なものへと発展し、一ヶ月後の2011年1月には23年間続いたアリー大統領政権を崩壊させたのです。

    そしてこのような、民衆が民主化を求め独裁政権に立ち向かうという運動は、周辺諸国へも飛び火しました。エジプトでは29年間続いたムバラク大統領政権、リビアはなんと41年(!)も続いたカダフィ大佐政権が次々と崩壊するという、アラブ世界に民主化の風を吹き込んだトレンド、これがアラブの春です。

     

    シリア騒乱の始まりは、「よくあるデモ」

    このアラブ世界に起こった民主化の波は、シリアにも押し寄せました。前回にお話致しましたように、シリアではバアス党アサド政権による一党独裁政治が長年続いておりました。現在のアサド大統領政権は2000年に発足したのでまだ16年ほどしか続いていませんが、前大統領であるお父さんも29年間大統領の地位についていたので、2人の任期を合計すると、なんとなんと45年間もアサド一家が政権を握っていたことになるのです。

     

    しかし、一概に独裁政権は悪い、と言い切ることは難しいでしょう。仮に独裁者がスーパーでウルトラな人であれば、国民みんながハッピーに生活することは可能でしょう。

    けどまあ、そんなスーパーでウルトラな人なんて現実中々出てこないです。シリアもそうでした。市民は、シリアでの経済格差の拡大政府の汚職問題に対して不満を持っており、それに関して2011年2月頃から頻繁にデモをするようになりました。

     

    ただ、独裁政治ではない国を見ても、経済格差や政府汚職に対する不満なんてどこの国にも多少なりとはあるはずです。現に日本でも「経済格差是正」や「政治とカネ」の問題なんて長年言われ続けていることです。それに関してデモも、大規模ではないにしろ日本でも起こっているのは事実です。

     

    現在ではシリア国内全土に戦火が広がってしまったシリア騒乱も、もとはといえばこのような「どこの国にもよくあるデモ」だったのですね。「政府を倒す」よりも「政府の改善」を目的としたものでした。

     

    実はアサド大統領は「なかなか話のわかる人」

    実はアサド政権って、多くの人がイメージする「悪の独裁政権」とは必ずしも一致はしないんですね。というのも、アサド大統領って、「結構話がわかる人」なんです。

     

    というのも、市民が行ったデモに対して、政府はかなり歩み寄りの姿勢を見せたのですね。例えば、「政府の汚職に関する不満」に対しては、デモの翌月の2011年3月には内閣総辞職によって責任を取ることを発表しました。そして問題の根源である「独裁に関する不満」に関しては、48年間続いた非常事態宣言(詳細後述)を解除し、国民の言論の自由を促進の狙うなどの措置を取ったのです。

    加えて、前回にお話したバアス党の独裁の元となっている憲法でさえも、改正していくと表明しました。(結果、憲法は翌2012年に改正し、憲法からバアス党という文字は消えました。)

     

    このように、アサド政権は国民の不満に対して、しっかりと結果を出す対応取っていたのですね。世間のメディアでは「アサド政権=独裁者=悪」と表す人もいますが、必ずしもそうとは言い切れないでしょう。

     

    シリアの「非常事態宣言」とは?
    シリアの非常事態宣言とは、簡単にいうと「警察の力を大きくさせる」宣言です。これが宣言されると、警察は令状無しで逮捕することができ、これにより反政府の活動などが押さえつけられていました。

     

    シリア政府のアメとムチの使い分け

    このように、アサド大統領率いるシリア政府は、市民のデモに対して一定の歩み寄りを見せました。と、それと同時に一刻も早くデモを鎮圧するために、武力による力ずくの制圧も行ったのですね。これには、最初のうちは非暴力で行っていた市民も怒りました。

    だってそうですよね?普通にデモしているのに、政府がいきなり力ずくで押さえつけようとすると、「おいおいおい!デモに対して、いきなり逮捕するとか力で制圧するって、ちょっとおかしくない?そっちがその気なら、こっちだって攻撃するで?なめんとんか?」ってなっちゃいますよね。よって、市民側のデモ隊も次第に攻撃的になっていきます。

    そうなれば、政府側もそれを押さえつけるためにより暴力的になっていきます。この暴力の連鎖が、デモを戦闘へと変えていったのですね。

     

    ここまでを図で表すと、このような関係になります。

    Part1-01

     

    Part2 諸外国の介入

    反体制派軍の誕生

    市民によるデモとそれを鎮圧する政府軍が互いに暴力的になってくる中、反政府を唱える人たちによって構成された軍隊、自由シリア軍が産まれます。これによって、「市民vs政府」という構図が、「反体制派(自由シリア軍)vs政府軍」という本格的な内戦状態へと突入していきます。

     

    アメリカ・EUの介入

    反体制派の誕生と同時期に、このシリアの問題を非常に複雑化させた犯人たちも、この頃から非常に頻繁の登場するようになってきます。

     

    その犯人たちとは・・・・アメリカ、ロシアをはじめとするたくさんの「外国」です。

    具体的にはまず、アメリカやイギリス・フランスをはじめとするEU諸国などが、アサド政権に対して「アサドさん、もうあんた大統領やめーや!」と言うと、その次にはシリアからの原油輸入禁止を発表しました。政治的経済的な面からアサド政権にプレッシャーを与えようとしたのですね。

    図にするとこのような形ですね。

    アメリカの介入-01

    そしてその後、これらの国は政治的・経済的な側面よりももっと直接的な方法でアサド政権を潰しにかかるのです。

     

    諸外国の支援の拡大=戦争の拡大

    上記のようにアメリカやEU諸国は、シリア国外からアサド政権への圧力をかけると同時に、国内でシリア政府と敵対する反体制派への支援を始めました。その他、サウジアラビアカタールなどの湾岸諸国トルコなども同じスンニ派が多い反体制派への支援を開始します。最初のうちは、食料や日用品などの非軍事的な支援が多かったものの、徐々に武器や訓練などの軍事支援も増えていき、次第に反体制勢力は大きくなっていきます。

    一方の政府軍には、兼ねてからアラウィー派のアサド政権と友好関係にあったロシアや、シーア派イラク、イラン等が支援をします。

    両戦力の拡大-01

    このように、「シリア政府vsシリアの反体制派」という戦いが、外国の介入や支援により双方の戦力が拡大し、両者間の戦いが全国に広がります。そうなると、この問題は簡単には解決できません。事態は泥沼化に突入します。

     

    Part3過激派の台頭

    アルカイダから生まれた、ヌスラ戦線

    戦闘が大きくなるにつれ、イスラム教過激派のいわゆるテロ集団の力も目立つようになってきました。

    まずは反体制派。元々、反体制派は自由シリア軍がメインに活動をしていましたが、勢力が大きくなるにつれ様々なグループが生まれ、力を持つようになります。その中でも最も大きく成長したのが、アル=ヌスラ戦線(以下ヌスラ戦線)というテロ組織です。このヌスラ戦線は元々、アメリカ同時多発テロを行ったとされる世界に影響力を持つテロ組織、アルカイダから生まれた組織でした。そのため、アルカイダもヌスラ戦線を支援するという形でシリア騒乱に関わってきます。

     

    レバノンのヒズボラ

    一方の政府軍にもテロ組織は関わってきます。それが、レバノンで活動を続けるヒズボラというテロ組織です。ヒズボラはイスラム教シーア派テロ組織で、同じシーア派の大国であるイランと非常に密接な関係があります。したがって、イランと仲がよいアサド政権側の戦力として、こちらもシリア騒乱に介入してくるのです。

     

    図にすると、このような形ですね。

    過激派の台頭-01

     

    Part4 ISの参戦

    今までは、大きく分けて「政府軍vs反体制派」というメインの2つの戦力が対抗する構図でしたが、それがさらに複雑化する事態が起こります。

    それが、皆様ご存知、一大テロ組織、ISの参戦です。

     

    イラクからやってきたIS

    元々ISはシリアにはいませんでした。どこでいたかというと、お隣の国、イラクなのですね。イラクといえば、2003年にブッシュ大統領率いるアメリカととサダム・フセイン大統領率いるイラクとの間で起こったイラク戦争が日本でも随分報道されました。そして、イラク戦争の後、非常に混乱状態で不安定な状態だったイラクで生まれったのが、このISなんですね。

    しかし、イラク戦争から10年以上時が経ち、イラクも比較的治安が安定化し、テロ組織であるISにとっては居心地が悪くなってきました。そこで目をつけたのが、イラクの隣国、シリアだったのですね。この混乱に乗じて、ISはシリアを乗っ取ろうとしたのです。

    そうしてシリアにやってきたISは、同じスンニ派イスラム過激派であるヌスラ戦線共闘し、アサド政権を倒すために戦い始めました。

     

    ISとヌスラ戦線の対立

    そうしてヌスラ戦線や他の反体制派とともに打倒アサド政権に燃えるISですが、次第にISとヌスラ戦線の間に溝が生まれます

    ISとヌスラ戦線は、ともにイスラム教スンニ派過激派なのですね。そしてこの2つの共通の目的は「自分たちの国を作ること」です。

    その中で、ヌスラ戦線は結構スジの通っている組織で、基本的に同じスンニ派の市民は大切する傾向があったのですね。したがって、多くの国がテロ組織と見なしているにも関わらず、シリアの市民からは一定の信頼も得ていました。

    一方のISは、スンニ派はスンニ派なんですけど、自分たちと意見の合わない人は同じスンニ派だろうと殺しちゃってたのですね。

    そしてある日、ISが有名なスンニ派のお医者さんを殺しました。そしてそれを知ったヌスラ戦線はISにキレたのですね。「おいおいあの人って、俺らの同志やろ!何殺しとんねん!アホか!」と。

    そしてそこから、ISはヌスラ戦線や他の反体制派組織と対立するようになります。こうして、「政府軍vs反体制派」という二者間の戦いから、「政府軍vs反体制派vs IS」という三つ巴の戦いに入っていくのですね。こうなれば、もはや解決の糸口をつかむことすら難しくなっていきます。

    図にすると、このような形ですね。

    シリアの現状-01

     

    まとめ

    以上のように、一番はじめは「シリア政府に対する、市民によるデモ」として始まった問題が、政府の力ずくでの弾圧、外国の介入や支援、過激派の台頭などにより瞬く間に戦火がシリア全土に広がりました。

    また、シリア北部に住むクルド人という民族は、長年自分たち国を作りたいと考えており、度々シリア政府と対立してきました。北部ではクルド系の武装組織もこの騒乱に参加し、事態はさらに混乱化していきました。

     

    その結果、最初のデモから5年以上経った2016年でも、比較的事態は落ついてきているものの未だ具体的な解決策は出てきておりません。

     

    なぜ、彼は戦うのでしょうか?

     

    なぜ、外国の国はこんなにもシリアに介入するのでしょうか?

     

    次回はこの、シリア騒乱の原因や理由について見ていきましょう!

     

     

    それでは今回はここまで!

    また次回にお会いしましょう!チャオ!


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